小河小説

    白石 准の青梅マラソン奮闘記

    97/9執筆、2000/3/15久々の修正加筆


    目次

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    1. きっかけ
    2. 予習
    3. 東京の深夜の顔1
    4. 東京の深夜の顔2
    5. 准の深夜の顔(お節介パンティーガードマン准)
    6. 予習の続き1
    7. 初めて都心から歩いた日(精神の解放編)
    8. 予習の続き2
    9. レース当日(レース前)
    10. レース当日(レース開始)
    11. レース当日(エイトマン)
    12. レース当日(レース中)
    13. レース当日(給水)
    14. レース当日(沿道の風景)
    15. レース当日(チェックポイント)
    16. レース当日(折り返し地点前後)
    17. レース当日(悲劇)
    18. レース当日(ゴール)
    19. レース当日(延長戦)
    20. レース当日(帰路)
    21. レース当日(サウナ風呂にて)
    22. 後日談
    23. コーダ


    ■きっかけ

    酔狂で1992年だったろうか、青梅マラソン(全国的に有名なレースで、東京の郊外の青梅という場所で毎年二月の第三週の日曜日に開催される)にでたことがある。

    短距離走は別のところにも述べたとおり中学時代に経験があったサッカー少年准を参照が、昔から持久力というものは全く素質に備わっていなくてマラソン大会が大嫌いだった

    高校のころでさえ、1500メートルくらい走ってもつらくていやだった。そんな意気地なしが何故かこの青梅マラソン大会に無謀にもエントリーしたときは、実に36歳にもなっていたころであり、加えて運動不足と暴飲暴食のつけが廻って、サッカー少年だったころを知っている人にはおぞましくも見るも無惨な極度の肥満状態、そしてなんとおめでたいことに、その週にはよりによって自分のピアノのリサイタルがあり、その前にもレース翌日には新日本フィルハーモニーでストラヴィンスキーの火の鳥の練習があったのに、、、、出ちまった

    マラソンの過酷さについて、本当にあまり深く考えていなかったと言えるが、ちょうどそのころプライヴェートな事で色々面白くないことがたくさんあって、何か今まで自分がやったことのない過酷なことに挑戦して御祓(みそぎ)をしたかった気分という、ある意味で「心神喪失状態」だからこんな無理なことをやるはめになったのかもしれぬ。

    実際、フルマラソンではなく、30キロのレースとはいえ、想像を絶するほど、マラソンはきつかった。

    生涯あんなに体が軋んだのは初めてだ。でも意外なほど、「精神が浄化された」貴重な体験だった。

    きっかけはこうだ。東京交響楽団のトランペット奏者に、僕の世話になっているトランペット奏者の津堅直弘さんの友人の鈴木一輝さんという人がいた。(当時)ある日練習のあと、飲みたくなったので彼を誘って新大久保で飲んでいた。世間話のついでに僕はこう言った。

    最近歩いてるんですよ、痩せなきゃいけないし、習慣になると気持ちいいっすね。この一ヶ月で4キロ痩せましたよ。

    半分世間話、そして自慢話をしている相手が誰だと言うことを、僕は知らなかったのだ!

    かれが音楽界でも有名なアスリートであることを、、、

    >それはいいね。それじゃあ、白石君どう?来年一緒に青梅マラソン走らない?
    >
    ぼくが申し込んであげるから、ここに住所を書きなさい。

    こういう展開になるとは思っていなかったのではっきり言って絶句した。し、しかし白石 准って意外と気が弱いから気がつくと、気持ちとは裏腹に差し出された割り箸の包み紙に、何度もビールのジョッキに口を付けて時間をかけながら惚けた顔をしながら、落選する事を願いつつ、ゆっくりと住所を書いていた。

    >まあ申し込む人が全国レベルだからね、抽選に入るとは限らないんだけど、
    >僕の友人の中には受かっても仕事で走れない人が必ず出るから
    >それを分けてもらうこともできるよ。(注:本当は他人名義では出場はしてはいけないのだ)

    こんな事を約束させられるつもりでビールに誘ったんじゃないのに、、、津堅さんの友だちだから、飲むことに生き甲斐を感じる人種(実際昔はそうだったらしい)だと思ったのに、、、

    そして夏が終わる頃、一枚の葉書が准のもとに来ました。宮沢賢治の「どんぐりと山猫」の冒頭みたいだ、、、

    うううう、受かっている?受かると言うのも変だが、十月末までに参加費を振り込むよう書いてあった。

    大変なことになった。でもしょうがない、逃げるのは嫌いだ。そして振り込んだ。

    葉書の通知が来たことを鈴木さんに言ったらとても喜んでくれた。話によると結構倍率は高いそうだ。15,000人出場するのにその何倍も全国から申込みが来るそうだ。


    ■予習

    本番は二月の第三週の日曜日なのだが、秋が深まったころ、情けないことにちっともトレーニングはしていなかった。

    しかし、ある日不可抗力で(?)トレーニングをする羽目になった。

    それは11月の頭のことである。

    その日、市ヶ谷(地方の人に解説すると、靖国神社に近い都心の駅)でConcertがあって、終演後まっすぐ帰れば良いのに、どうも帰る気にならず、一人でぐずぐず盛り場を徘徊し、気が付くと家とは全く反対方向の、両国の知り合いの家に突然討ち入っており、深夜の迷惑も顧みず飲んで盛り上がっていた。

    その結果当然のことながら、終電に間に合わなくなった。

    それでも当人は新宿から町田方面への深夜バスを当てにしていたのだが、いざ千鳥足で新宿に戻ってみると待っているはずのバスがいない!訝っているとタクシーがよってきて、

    >今日は土曜日だよ!バスはないよ。乗ってくか?

    、何だって?

    サラリーマンが持ち合わせているこの世の習慣の常識が皆無の白石 准にとって、平日と休日というものの区別がもともとなかったのだ。

    確かにタクシー代は先ほど伴奏した女性からもらったから何とかなるとは思ったものの、きれいな封筒に、ピン札を入れてくれて、かつ、ほのかにコロンの香りがする(最後のこれはねつ造かもしれんと思われるだろうが)

    美人にもらったばかりのこの香りまでするお金を、こんなにすぐに、てらてらした肌のこのおやじに渡してなるものか!

    と脈絡もなく意固地になって、長い距離の客をゲットしたつもりのタクシーのうんちゃんの期待を見事に打ち砕き、そこから離れた。

    それじゃどうやって帰る?

    閃いた!

    歩いて帰ろう!そうだ、ここから家までざっと30キロくらいじゃないか。ちょうど良いぞ。青梅マラソンは30キロだったな。練習になるし、前にも荻窪から町田まで歩けたものな。

    少々酒が入っていたから、こう決断したのだ。つくづく馬鹿だな、俺って。

    大体演奏会が終わってからもすぐに帰るのが嫌で、散々歩き回ってその知り合いの家に突然行ったわけで、それまでも相当歩いていて、靴は演奏会に履いていた革靴のままだったし、すでに足は結構痛かったはずだ。

    結論から言うと、それから5時間半ほどかかって自宅についた。

    今思えばその日の朝から万歩計をつけていたらどのくらいになっていたか想像の域を超えている。


    ■東京の深夜の顔1

    いまの時代はどこでもコンビニがあるので水分や食い物の補給は楽だからいいのだけど、歩いてみてびっくりした。

    ちょうど学園祭が開かれる時期ではあったにせよ、深夜、道を歩いていてすれ違うのが、どういうわけだかおしなべて若い女なのだ。

    それは午前3時をすぎてもそうなのだ。

    治安が良いというか、けしからんというか、ふしだらというか、でもちょっと恐い。男とすれ違うのと違い、もしかして幽霊?、と思わせる恐怖のオーラの雰囲気は男より女にあるな。

    なに、おやじ状態になっているかわからんけど、

    最近の若い女は何を考えているんだ!

    とか、

    あいつらの彼氏はどうして家まで送らないんだ!

    とか、声に出しながら歩いていた。

    97年の夏は猟奇的なものを含め、とても女性や子供たちにとって物騒な事件が相次いだから、もうこういう現象は減ってくるかも知れないけど、、

    ■東京の深夜の顔2

    でも、別の時に、やはり市ヶ谷の隣の飯田橋で、終演後盛り上がって2:30くらいにある交差点でタクシーを探していたらその半径3メートル以内にいた10人を超える人々は僕と連れの男以外全部若い娘だったので肝を冷やしたことがある。

    学生時代に飲んで終電で帰った頃、東京の終電風景というのは、酒の臭いをぷんぷんさせた男の世界で、女がいると、夜のお仕事か、誰かの「連れ」で割合的には少なかったもんんだ。だか、いま乗って見ろ。半分以上女が乗っているときがあるぞ。それも、一人だったり、女どおしで盛り上がったまま、騒いでいたり、すごいよ。

    ■准の深夜の顔(お節介パンティーガードマン准)

    ある深夜の電車の中で、若い娘が無防備に眠っていたのだが、彼女は相当酔っていてもう弛緩しすぎて、図らずも大股を拡げやがって、見ている俺も目のやり場に困り、普段だったらよろこんで直視するが、あまりに、あっまっりっに、みだらなので、お節介にも拡がった膝を閉じてやったことがある。

    まったくもって、こっちも酔っていたからできたことだが、そうしたら当人はとろ〜んと眼を覚まし僕に、ふにゃ〜と礼をいったが、また気絶すると脱力して、脚がびろ〜んと!

    彼女の前に立っていたのだが、俺の後ろではおやじどもがずりおちそうになるほど浅く腰掛けて彼女の脚の間に眼が釘付けになっているのが分かるだけに、その状況への嫉妬(本音であることは言うまでもない)と、この女の彼氏や両親だったら、あまりに情けないという義憤(どうだか、なんて言うな!)で、再度、膝で開ききった相手の膝を軽く蹴り、

    >おい、ちゃんとしろよ。お願いだから脚を組むなりしてくれよ。

    とささやいた。なんてお節介なんだ。でも一度声かけたもんだから後に引けなくなったんだ。

    本来好きなことと逆の行為をしている自分が、訳分からなくなっていた。

    背後ではおやじどもの舌打ちの音が聞こえた。

    あたりまえだ。俺でも残念がるだろう。俺がブラインドになってみえないもんな。

    女?そうなんだ、あの娘は何回言ってももう無防備状態でミニスカートの中身を世の中に公開しつづけていた。しかし残念ながら目の前に立っていた俺は角度的になにもみえなかった。

    女って本当にやっかいだ。??????

    おっと話がだいぶそれたぜ。もどそう。深夜新宿から歩いたんだよな。

     

    ■予習の続き

    大きな街道を歩くと排気ガスがすごいので、喉をやられると思い、コンビニで、マスクを買って歩いていたが、カーブミラーに映った自分を見てすぐさま泣く泣く買ったばかりのマスクをゴミ箱に捨てた。

    だって、その日の服は、三宅一生のけっこう前衛的なデザインのシャツで、真っ暗闇の中に白亜のマスクが鮮やかに映えているからだ。これでは「職務質問募集中」の看板が歩いているようなものだ。


    ■初めて都心から歩いた日(精神の解放編)

    前述のように都心から郊外の自宅まで歩いたのは実は、初めてではなかったが、初めて歩いたときに精神的にものすごいカタルシスがあったのを憶えている。

    俺はピアノを弾いているから自由業ということになって、勤め人とはちがって、毎日同じ時間割で生活しているわけではないから、勤め人の人から見ると、相当「自由」に生きてきたと思われているだろうし、自分でも職場の人間関係の軋轢に抑圧されている人に比べたら、Concertを迎えるプレッシャーは別として、心はかなり「解放」されていると思っていた。

    だって、胃潰瘍で入院したりしたことはないし、、ノイローゼになったことはないからね。

    しかし、深夜歩き始めた瞬間、突然自分も自分が築いてきた「習慣」に縛られて生きていることをはっきり悟った。

    どうしてこんなことを感じたかというと、突然歩きながら、形而上学的に(爆)透明人間になったような気がしたからだ。

    変でしょ。

    つまり、こうだ。通り過ぎる人たちに対して心の中で、

    おい、俺が何処ここにいて、そして何処に帰るか知ってるか?

    駅前で飲んでてこの近所に帰ってきたのじゃないんだぞ。

    これから鶴川(東京の郊外)に朝まで歩いて帰るんだぞ。

    どうだ、参ったか?あははははははははははははははは

    別にすれ違った奴を、参らせなくても良いと思うが、どうしてそうなったか説明の必要があるだろう。

    自分のことを知っている全世界の人全ての人が、この瞬間に俺のことを思い出していて、「ああいまころ准はなにをしているかな?」と思ったとする。そしてそれらの人が思うことは何だ?

    寝てる。ピアノ弾いてる。糞してる。食ってる。移動中。あとは下品なのであえていわんが、実は、自由業といえども行動の種類なんて両手の指に収まるくらいの可能性しかないのだ。

    普段だったらこのような発想はうかばないはずだが、俺がこんな所を歩いていてそれも、家まで歩いているなんて思う奴はこの世の中に絶対にいない。と思ったとたん、神の啓示が来たごとく、体が打ち震えたのだ。

    むかしの子供向け番組の悪漢がよく吐いた台詞に、

    お釈迦様でも気づくまい!

    というお約束の言い回しがあったがまさにそれだ。

    なんか、日常と言うものから突然解き放たれた精神の清涼感があった。

    自由に生きてきたつもりで、結局新たな日を迎えてもやることと行ったら今までの習慣のどれかにあてはまってしまうのだ。

    きょうはなんて新鮮なんだろう。

    そう思った。自分を知っている人はもちろん、このすれ違う人々にしたって、いますれ違った奴がこれから何をしようとしているのか分からないのが痛快なのだ。

    これって透明人間感覚だ。

    人間の存在って、物理的な存在のことより意識の存在がその存在感を感じる時に重要になって来るんだなあ。


    ■予習の続き2

    そうこうして歩いているうちに日が昇り、始発も動く時間になったが、意地で歩いていた。

    相変わらず、すれ違う人に心の中で、

    俺はな、朝の散歩をしているんじゃねえぞ。新宿から歩いてんだ。まをみろ。

    参ったか、が、ざまをみろ、に変わったってしょうがないのにやはり、そう思った。

    途中、捨て猫と遊んだりしたが、そうこうするうち無事帰宅して思った。

    よし、とりあえず30キロと言う距離はるるに足らずだ。

    青梅マラソンの規定走破タイムは3時間半だからこれを来年までに2時間縮めれば良いのだ。

    いまは歩いたのだかられば勝だな。っはっは。

    、、、、、結果としては実に甘い考えだったのだが。

    考えたら10キロを1時間10分でコンスタントに走らなくてはならないわけだ。最初の1時間は大丈夫でも、その先は初心者には大変な壁だ。

    12月に入り朝早く走りはじめた。前にも言ったように、30分くらいならまだしも3時間以上走ったことは生涯ないのだ。最初からそんなに走れないから、少しずつ増やしていった。

    でも当日まで結局30キロを一度に走ることはできなかった。


    ■レース当日(レース前)

    ええい、本番にかけるぞと、自分に言い聞かせ、当日になった。

    びっくりしたのが、まずその日の青梅方面に向かう電車の中の異常な風景だ。

    客のほとんどがジャージを着ている。そして雑誌を持っている人は「ランナーズ」という専門誌などだ。俺は勿論買ったことはない。普段だったら府中の競馬場にいく客層の多い南武線なのに、、、

    終点の立川で青梅線に乗り換えていざ河辺(かべ)という駅に着くとまたびっくり。

    駅前にビラ配りの人が何人も出ている。渡されたものを見ると全国あちこちの市民マラソンの参加を呼びかける類のものだ。

    読んでみると、たとえば、秋田のマラソンは、入賞者に秋田こまち○○キロ進呈、とか、甲州マラソンは、完走者全員にワイン飲み放題(走ることより走った後のこちらの方が危険だと思う)とか、こんな事が世の中で行われているとはついぞ知らなかった。

    エントリーの手続きをしてゼッケン等を渡されているうちに、なんかこれからすごいことに参加する実感が沸いてきて気持ちが高ぶってきた。Concertと違ってこういう手続きは本当に初めてだもんね。

    誘ってくれた鈴木さんたちとも会えてほっとした。走るお仲間も紹介してもらった。でもまわりには闘争心むき出しの人がたくさんいるなあ。

    みんなウォーミングアップをして走っていたりするが、そんなことしたら疲れて走れなくなるような気がしたからなにもしなかった。最初の数キロでそれを兼ねるしかないだろう。

    朝のラッシュ状態の道に出て指定されたところに並ぶ。前年度優勝した人から順番に並ぶ。

    勿論招待選手は一番前だ。当時第一線で活躍していた、女子では谷川真理選手や男子ではオツオリ選手も来ていた。

    僕は初めてだったので最後尾の初参加の年齢順のところに並んだ。ほとんど15,000人の最後尾だ。

    上には報道のヘリが何機も飛んでいてまたどんどん気持ちが高ぶってくる。そんなわけねえのに、俺もニュースに映るのかな、なんて思ったりする。(ばーか!(´。`))

    さっきも言ったが、Concertで弾く前の高ぶりとはなんか違う。

    ■レース当日(レース開始)

    いつ号令がかかったのか知らないが、いつの間にかゆっくり前が動き出す。

    なんか拍子抜けだ。やはりピストルの音を聞いてみたいがこの行列の長さじゃ無理だ、よく考えれば。

    とにかく、ついに始まったんだ。どうなるのだろう。

    でもなんと言ってもこの人数だ。コースの最初は商店街を抜けるので狭いところもあり渋滞する。

    大体僕は走りはじめて7〜8分したところで、「スタートライン」に到着した。もうそのころにはウォーミングアップどころか、結構ばてているのだ。

    スタートラインから少し行った商店街の中に、レコード屋があって、その前を通過するときにみんな笑い転げていた。

    もどってこ〜い〜よ〜♪

    と大音響で、松原のぶえだったか誰か忘れたけど、その演歌のそのフレーズが延々その一言だけループさせてエンドレスで流れているのだ。

    そうだ、全員戻ってこれるはずがないのだ!

    この時点ではみんな笑っているがこれは励みになると言うよりう〜ん、やはり本当に過酷なことに参加してしまったと言うことで、背筋に汗が流れた気がした。

    まぐろの稚魚の気持ちが解ったような気になった。

    目立ちたがり屋の俺だが、この日はだれも応援はいない。

    ■レース当日(エイトマン)

    書き忘れたが、走る前に、僕を誘った鈴木さんに、あるおじさんを紹介された。鈴木さんはもうすでに実績のタイムがあるから僕らよりだいぶ前の位置にスタンバイしていたので、俺はその方と一緒にスタートする事になった。

    この人がまた痛快な人で、出発前に僕に訊くのだ。

    >白石さん、ちゃんとお金持ってる?

    え?置いて来ちゃいましたが。

    >駄目だよ!
    >もし、途中で脚くじいて電車でかえらなきゃならなくなったらどうするの?

    おお!そうだ、無事帰ってこれるとは誰も保証してはいない!

    どうしようかとそわそわしていると、

    >まあ僕が持っていますからなにかあったら言って下さい。

    まあ、実状はリタイアする人々を拾うバスが後ろから走ってくることがわかった。知らなかったが当然のことだろう。

    そして走り出したら、その彼はしばらくして

    >ああ、ばてた!

    と言って、なんと腰のポーチから煙草を出して吸い始めたのだ。もちろん走りながら!

    あ、あなたはエイトマンですか?
    知ってるよねえ、エイトマンのエネルギー補給は特殊な煙草だったということを、、、

    不思議なことにまるでエイトマンのように、煙草を吸いだしたとたん彼のピッチが生き返るのだ。

    これにはまわりに走ってる人や、沿道の応援の人も唖然、消防団の人が、

    >あ、あのひと煙草すってる!

    と叫んでいるのが聴こえたがこっちはそれどころじゃなかった。

    ■レース当日(レース中)

    実際走ってみるといろいろ面白いぞ。

    男ってすけべだから、ときどき綺麗な若い女性が走っていると、その後ろに何人もくっついて、自分の苦しさをその、前を走るスパッツでぷりぷりに揺れる綺麗なお尻を見ながら忘れようとしているのだ。

    そういうときって、人類皆兄弟、というように、男どもは初対面なのに、気持ちは一つで微笑みあうのだ。男に生まれて良かったとつくづく思った。

    初対面の相手でもすぐにこう言うことに共有感をもてるというのはすばらしいことなのだ。

    ■レース当日(給水)

    あと、給水ポイントって想像していたのと全然違う。

    特に僕は最後から行っているからもう紙コップもほとんどないし、コップとスポンジが道に散乱していて、材質を考えたら、踏んで捻挫する訳ないのに、気になって妙に走りにくいし、コップがあったとしてもテレビで見るようには走りながらとれるものじゃない。

    だって慣性の法則で、水はその場所にとどまろうとするのだから走りながらテーブルから取ると水は半分以上こぼれるのだ。

    だから、コップを差し出している少年がいて、誰も取らないから

    もらうぞお!

    といって手をだしたら、そいつ、少しは俺の動きに会わせて渡せばいいのに、静止状態で僕が奪ったからそいつは頭から水をかぶっていた。ごめん!でも君は理科をもっと勉強すべきだ。

    別のところでは、給水ポイントではないが、沿道の商店で好意的に水を供給しているところがあった。

    だいたい給水ポイントでも、素人はいったん走るのを止めて、ゆっくり水を飲んでから、さあ、行くか!っていう感じで走り出すのだ。こういう風景をテレビで見たことは無かった。

    俺がその店の前に行ったら、

    ごめん、もう紙コップなくなっちゃった。

    と言われて、なぜか、そこの家の子供が、あれははっきり言って洗面器だな。それに並々水を満たした奴を抱えているから、

    ええい、それで良いからくれ!

    と言って大相撲で優勝した横綱の様に、抱えて口まで持っていったら、重いのなんのって、そして寒くて手がかじかんでいるから、結果は「上半身に掛かり湯(冷水)をかけて、さあ、浴槽へ」状態になってしまった。

    なんで、ひたひたに水をいれないんだ、馬鹿野郎!

    とは言えなかったけど、それから寒くて寒くてしばらくは大変だった。

    ■レース当日(沿道の風景)

    途中仮設トイレもあって、もよおした奴が猛然とダッシュで先を争うのはみていて面白かった。(??)

    あと、笑えたのが、街道沿いの見晴らしの良いところに結婚式場があって綺麗なチャペルが見えてきたときだ。

    その前で、花婿、花嫁の、ど派手な衣装をきたモデルが2〜3組、立って手を振っている

    これにはみんな笑い転げて走っている。なんでドレスで手を振ってるんだ???なんか、うまく文章で表せないんだけど、あのシーンはやはり妙だ。まわり中マラソンの格好の人々の中に、とつぜん、場違いなフォーマル野郎がいるんだよ。銭湯の浴槽にいたら、そこに中世の鎧の騎士が入って来るようなコントラストだった。

    何十分あのまま彼らはやっているのだろう。女の人は寒いだろうな、と思いながら先を急ぐ。

    ■レース当日(チェックポイント)

    でもなんとか、最初の関門、15キロ地点に時間内につきそうだ。

    ここから5キロごとに規定時間に間に合わなかった人は非情にも失格させられる。

    たとえ、失格しても完走をめざす人は走り続けて良いらしいが、交通規制が解除になるので歩道を走らなくてはならなくなる。このころから、あちこちで、足がつる人がでている。当然だな。

    俺も膝の裏がなんか違和感(最近プロ野球の選手の言い訳ではやっているよね、一度使ってみたかった。)があった。

    面白いもので、マラソン中継のなかで、屋根のうえに大きいデジタル表示の時計を積んだ車が走るでしょ。あれって普通どんどん時間が増えるじゃない?それが、チェックポイントにとまっている奴はどんどん減るんだよ。1キロくらい前からかなあ、係員がいて、

    >もうすぐ、チェックポイントを閉鎖します。急いで下さい。

    素人にプレッシャーを与えることを残虐に楽しんでいる、いわば、慇懃無礼な看守の様に叫んでいる。
    てめえ、そうやって素人をいたぶって嬉しいか!って感じだ。

    畜生!特に、自分の経験と、当初の予想を超えた未体験ゾーンに入っていた、25キロ地点では、車の姿は遠くからはっきり見えているのになかなか近づかなくて本当に焦った。

    一分を切ったあとは、動かぬ体を一歩でも先に運んでいるのだが焦るばかり、、、なんとそこを通過したのは残り6秒前だった。

    もちろんそこの給水所で数分休んだのは言うまでもない。

    ■レース当日(折り返し地点前後)

    時間が戻るが、さすがに15キロを過ぎると先頭集団が折り返してくるのにすれ違うのだ。

    このとき、こっちが上り坂だったせいもあるが、その迫力にびっくりした。

    まるで馬が走っているのかと思うような速さで、あっと言う間に通り過ぎる。なんか筋肉がしなるというか、ぷりぷりするような音をたてているような気がした。

    オツオリ選手と、数人後には、なんと谷川真理選手も男に混じって大げさじゃなく、猛スピードで行った。

    人間じゃねえよ!何だ?今の?

    と言ったら、エイトマン氏が、

    >なあに、白石さん、たいしたことねえよ、あいつらより俺たちの方が実は強いんだぜ

    と言うのだ。

    >だって、俺たちはさっきから喋り続けながら走る余裕ってもんがあるだろ?
    >あいつら、はあはあ言ってそんな余裕なんかないじゃねえか。

    そ、そうかもしれませんね、そうですね。そうだよ、そうなんだよ、そうに決まった!こっちのほうが健康的なんだよ。

    と自分を納得させて、彼から遅れないように、煙草の煙を避けながら着いていく。

    見ていて不思議なのは年配のランナーだ。足を引きずるように走っているのに、きっと毎日トレーニングしているのだろう。ちっともペースが落ちず、一緒に走っていても、そのうち俺が遅れ始める。

    逆に若造がおかしかった。

    サッカーのユニフォームを着ている、そうだな高校生くらいかな、そいつが、まるで走り高跳びの助走のようなぴょんぴょん跳ねるような走り方をして異常なスピードで俺らを抜いていって、ああ、若いのには叶わないなあ、と思ったら、数分後、地面の上でのたうちまわっていた。足がつっているのだ。

    大丈夫か?

    と声をかけながら追い抜いていったが、また数分後、懲りずに妙に、ぴょんぴょん跳ねながらまた追い抜かしていった。今度はさすがに、お節介だが

    そんなに早いペースだとまたつるぞ!

    と声をかけたが、また消えていった。そしたら、また数分後にすごい形相で電信柱に抱きついている。

    俺だけではなくまわりの「中年」は、だからいわんこっちゃない、と苦笑して無情にも追い抜かす。これぞ「若気の至り」、ざまあみろ。

    ■レース当日(悲劇)

    でももう辛い。ゴールまではまだまだだ。たぶん相当やばい顔をしてたのだろう。沿道でレースを見ながら車座になって酒盛りをしているおやじが、

    おい、そこの若いの!しっかり走れ!これでも食え!

    と、何か渡された。若いかどうかは別として、それまでも沿道の人は、角砂糖、チョコレート、バナナ、飴、ミカンなど差し出してくれてそのたびに食いまくっていたが、今回は何だと思う?

    さきいかなのだ。

    さ、酒のつまみを渡されても、、、、、

    でも本当によく、テレビのインタビューで聞くけど、沿道に旗を振ってくれるひとがいると本当に走れるものだ。もう2時間以上走っている。こんなことは生涯初めてだ。でももう走っている速度でははっきりいってない。ゆっくり歩いている速度だが、意識は走っているのだ。

    エイトマン氏はあいかわらず、ぼくのペースメーカーになってくれている。そして、尋ねると、煙草の本数も「計画的」に吸っているそうで、まだ本数に余裕があるそうだ。

    そういえば、走り出して数十分のところで、今回誘ってくださった、鈴木さんのご家族が待っていて、僕が通過するときちゃんと名前を呼んで応援してくれた。
    ああいうときって、本当にじーんとくるねえ。だけど、折り返して僕が同じ場所で待っていた彼女たちの目の前を通過するとは思っていなかったらしく、当人も二度声をかけられたのは感無量だった。

    が、不幸はその直後に襲ってきた。

    規定時刻残り6秒で25キロ地点を通過。なんとあと5キロを30分残していた。よくここまで来たもんだと思う。

    チェックポイントの給水所で休みながら、エイトマン氏と水をのんで、走り始めたとたん、予感があったので、もうエイトマン氏には先にいってもらったあとに、やはり、太ももがつった。

    何とか、しゃがんで筋を伸ばそうと思ったが、今度はしゃがんだら、太ももは良かったが、膝の下がつった。

    立ったら太もも、しゃがんだらふくらはぎと、こりゃ地獄だった。

    訳わからない、前衛舞踏のような動きで、立ったり座ったりしながら、叫びながら悶えていた。見ていたら結構面白い動きだったろう。う〜む実に客観的に見てみたかった。

    しかしなんと悪運の強い、俺なのだ、目の前が、看護チームの詰め所だったのだ。

    看護婦さんが数人飛んできてマッサージをしながら、ジャージを脱がされ(いいぞいいぞ、普段ならこんな襲われ方って男は夢なのに、、、看護婦さん、三人もだよ!)サロメチールを塗ろうとするのだが、

    >ごめんなさい、もうなくなっちゃったのよ。

    と、朝、洗面所で歯磨き粉を出すときによくやるように、無理矢理絞り出そうとするがでてこない。

    うしろから、非情な役員のおやじが来て、

    >もうあきらめろよ。バスも来てるし、乗ったらどうだ。

    これには心底、頭来た

    余計なお世話だ、ここまで来たら死んでも完走する!

    看護婦さんはそのやりとりの間、盛んに俺に同情してフォローした言葉をくれたり、おやじに俺の弁護の言葉をかけてくれていたが、おやじは単に、一刻でもはやく打ち上げで酒を飲みたいのだ。

    畜生!

    そう思っていたら、おやじが合図したのか、落伍者回収バスが俺の前にとまり、ドアが俺の目の前に開いていたが、もちろん拒否した。(ふざけんな)窓からはリタイアした「先輩」たちが闘争心の火が消えた眼で僕を観察している。もちろん、さそうわけでもなし、拒否するわけでもない顔。

    ああ、あんな顔して乗りたくない!

    もういちど、ちくしょお!

    誰かに勝ちたいからここにきたんじゃねえ!

    それがこのおやじにはわからねえんだよな。

    こんなところでバスに乗ったら一生後悔すると思った。

    看護婦さんには礼を言って、歩き出した。やはり天使だよ看護婦さんは。

    よおし、まだあと20分くらいあるじゃないか。あと、2.5キロくらいだ。頑張れ。まだ不可能じゃねえよ。

    でもまたひどい仕打ちがまっていた。本当に俺が15000人の最後尾だったらしく、パトカーが後ろから着いてきて暴走族がするように空ぶかしをして俺をあおるのだ。

    >おらおら、はやく、あきらめろ、あきらめろ、でぶ!

    といっているようだ。

    沿道の人や、看護婦さんは本当に優しかったのに、役員と警官は、「自分の限界に挑戦している一人の素人ランナーの気持ち」を蹂躙し、早く、「交通規制の解除」と、どうせ「打ち上げの酒盛り」が第一優先だ。本当に頭来た。

    マシンガンか、手榴弾でパトカーに反撃したい気分だった。

    とどめを刺されたのは、まだあと15分残っているのに、テントを解体している箇所をふらふらになりながら通ったら、役員のおやじが突然寄ってきて、

    >もうだめだろ?

    と言って、なんと!有無を言わさずゼッケンのバーコード(実はこのバーコードがゴールの時機械が読み込んで、タイムを記録するそうな)むしり取ってしまったのだ。

    まだ、時間あるじゃない、、、、

    普段だったら烈火のごとく抗議するのに、もうその気力体力が失せていたんだ。

    しかし、まだ希望はあったはずなのに、この行為で完全に戦意を喪失してしまった

    泣きたくなった。

    これで俺の失格が確定した。

    ■レース当日(ゴール)

    完走できなかったんだ。あと2キロもないのに、、、

    とぼとぼ歩いていたら、もうそのころは沿道の人もいなくなり、車道には車が走り始めていた。

    でもバスには乗らない覚悟で歩いていたら、幼稚園くらいの子供がまだ自宅の前だろうか、母親と旗をもって立っていた。俺が近づくと、こっちを見て

    がんばれえ、がんばれえ!

    と言われたとたん、何処にこんな力がのこっていたかと思うくらい、全力疾走でその場を通り過ぎた

    しばらくして息が切れて後ろを向き、その子が見えなくなった頃、俺は電信柱に抱擁して顔をしかめ、つった足の筋を伸ばしていた

    ああ、鈴木さんたち待ってくれているかなあ。

    そう思いながら、ゴールが近づいてきた。俺が進もうとする方向と逆へもう着替えて駅に帰るおびただしい人の波だ。ゴールのゲートもばらしが始まっている

    「失格」の実感を真に感じながら、意地でその波のまん中を逆流して突き進んで行った。

    とりあえず、確か、「ゴールがあった場所」に自分の足ではたどりついた

    もちろん誰も待っていない。というより、人の流れの完璧に逆だから、多数決で言えば迷惑なのかな。

    しかし俺は間違えたことをしているわけではないはずだ。(;´_`;)

    マラソンて人生の縮図だというが、ほんとうに俺の人生って世の中に逆行してるな。

    と思いながら冷え切った体(走っているのにもうスピードが上がらないからかえって熱を奪われて寒くてかなわない)をなんとかしたかった。

    とりあえず、俺の荷物は何処だっけ、、、、、、。

    ■レース当日(延長戦)

    このときはすでに遊園地の迷子状態なので、本部に寄って鈴木さんを呼びだして貰うアナウンスをたのんだら、こう言われた。

    この紙に書いて、あそこに見えるやぐらの上にアナウンサーの女の子がいるから渡して呼び出してもらって。

    さあ、困った。鉛筆を持っても手がかじかんでいるから、なかなか動かず字が書けないのだ。

    体中痛いし、寒いし、着替えたいから焦るのだが、考えたら「鈴木さん」ってもっともポピュラーな名字であり、特定するのが難しい名字であることに気がついた。

    トランペットの鈴木さん、白石准は無事帰ってまいりました。本部のテントのところでお待ちしていますので助けに来て下さい。

    妙な文章を書くのに、本当に数分もかかってしまった。幼稚園児以下の筆記能力だったと思う。

    それを持って、呼び出し嬢のお姉さんがいるやぐらをのぼり始めたとたん、三段目くらいでまた足がつって、もんどりうって下まで落ちたのだ!まるで新撰組の池田屋の斬られた奴の階段落ちのシーンだぜ。

    運良くちょうどそのとき、やぐらの上から小学生が降りてくるところで、よく時代劇で隠密がやられて密書の巻物を、通りがかった子供に託すがごとく、少年を呼び寄せ、あえて、倒れたまま、

    、坊や、この紙を上のお姉さんに渡してくれ、おじさんはね、こ、この通り、もうだめだ。

    迫真の演技(本気)が通じたのだろう、りすが木に登るがごとく、アナウンサーの所まで眼にもとまらぬ速さで走ってとどけてくれた。人情は死なず!

    そしてそれから永遠に感じた数分間、レスキュー隊をまつ凍死寸前の登山家の気分を味わった。

    程なく、缶ビールを携えて、笑顔の鈴木家の皆さんが来てくれた。鈴木さんはいままでで一番良いタイムだったそうだ、もう少しで2時間を切るところまで来たそうだ。これは数年前のことだからいまころは、きっと、、、、

    はい、と差し出されたビールだったが全然欲しくなかった。

    欲しいのは、おでんとか、豚汁だった。ほんとうに体中の糖分が全てどっかへ蒸発した感じだ。

    なんか、普段だったらありえないことに、温い、べたべたするくらいのポカリスエットが飲みたかった

    飯なんか食ってないのに、何故か、胃の中がガスで充満して胃が張っている。

    こんな状態で、ビールや、ワインなんか飲みたくない。寒いのも原因だけど。

    とにかく、戦いは終わった。


    ■レース当日(帰路)

    と、思いきや、これですまないのが、人生だ。神はどこまで試練を与えるのだろう。

    登山ものぼった後、下るときが一番大変だと聞く。

    駅について階段を上るのが大変だった。老人と同じように手すりに、しがみつきながら一歩一歩這いずるようにのぼる。しかし下りはもう膝が笑うのを通り越して、本当に割れそうに痛いのだ。

    鈴木さんたちには、僕がここまでやるとは思わなかったらしく評価はしていただいた。

    考えてみれば、3時間40分かかったわけだ。スタートラインまで7〜8分かかったことと、あの横暴なおやじにバーコードをむしり取られて気力が失せなければ、ぎりぎり規定タイムで完走出来たかもしれん。

    まあ、後に、日本のサッカーの「ドーハの悲劇」同様、初体験で栄光を掴んじゃ罰があたるからなあ、、あれでよかったんだ。練習もあんなもんで、よく走れたよ。まわりに走る人がいて、応援があるからできた。

    立川駅で彼らと別れ(ランナー仲間とのうちあげに誘われたけど、本当にそれどころじゃなかった)南部線に乗り換えるとき、また下りの階段で手すりにしがみついてゆっくり降りていたら、まわり中そういう人だらけで、お互い、面目なさそうに苦笑していた。これは端で見ていると絶対笑える。ふざけているとしか見えないだろうが、もう車椅子にのせてもらいたい状態なんだ。

    二月の第三週の日曜日の夕方に立川駅でこういう人たちをみたら同情してあげて下さい。(爆)

    立川が始発なので何がなんでもすわりたくて席を確保したが、ここまでダメージがすごいと、すわっていても辛く、登戸で小田急線に乗り換えるとき、ついに親友の男(「どんぐりと山猫」の語り手でもある楠 定憲氏)にSOSの電話を入れた。小田急線の鶴川駅に住んでいたのだが、そこの駐車場に止めてあった車を運転する自信がなく、迎えに来てもらった。

    ■レース当日(サウナ風呂にて)

    彼に抱えてもらいながら車に乗って、行った場所が、薬湯とサウナがあるところだ。

    ここで、決定的なミスを俺は犯した。

    こういう時は筋肉を温めてはいかんのだ。

    サウナに入っている間に気持ちが悪くなり、仮眠室で気絶してしまった。

    気絶とは大げさだが、何でマラソンの後にサウナに行ったか本当に俺は頭が悪い。

    水風呂に足をつけるべきだった。

    でもなあ、体は冷え切っていたからな、、、そういう気になっちまったんだ。

    仮眠室では胃や腸にたまったガス抜きを何度もした。まわりに人がいなかったから出来た芸当だが、きっと家庭用の大きなゴミ袋分くらい屁をこいた

    しばらくしてお腹の具合が風船のしぼんだ感じになったので、そこを出て、行きつけの鶴川の寿司屋に彼と行った。

    やっとものを食えるようになり、一安心。

    でもなんか幸せな一日だった。普段ぜったい出来ないし、しようとも思わないことをやると新しい自分が発見できることを確かに学んだ


    ■後日談

    その週にリサイタルがあったことは最初に述べた。

    足は疲れても手は使わないと思っていたが、3時間以上手を前後に振り、肘を曲げていたわけだから、力こぶができるあたりがすごい筋肉痛で難儀した。

    でもリサイタルは、まだ肉体的疲労は残っていたものの、酸素が脳にまだ充満していたらしくいままで感じたことがあまりないほど、冴えて弾けた。早いパッセージもぜんぶスローモーションで見切れる感じなのだ。

    曲目もハードな曲を集めてちょっと失敗したかと演奏が始まって思ったが、精神的じゃなくて、肉体的な部分ではあの日のこと考えたらこんなの糞くらえ、という気分になれた。

    いいもんだ。たまには肉体をいじめるのも。

    ■コーダ

    これを書くことにより、また久しぶりに歩き始めた。まだ走ってはいないが、今年中に60キロ台まで体重を落としたいものだ。きっと今日現在76キロくらいだからね。

    と97年の秋には思ったが、ぜんぜん駄目だ。そのうちダイエット日記でもつけよう。

    と、上の段落を読んで加筆した2000年の春は前年度の秋から歩いたりしていたことの甲斐あって81キロだった体重が現在は73キロになっていて、この年の青梅マラソンにこの時以来エントリーしたが、当日朝起きたら雪が降っていて体調もすぐれずリタイアしてしまった。21世紀最初の大会には、本当に60キロ台の体重で望むつもりだ。

    完!

    97/9/2

    98/2/16加筆

    2000/3/15加筆


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